第四話:人を呪わば申 景帝は太子時代からのお気に入りだった「智嚢」 この 人柄に難があり頑固で人の意見を聞き入れることはなかったという。 殆んどの場合受け入れられ、多くの法令が改変された。 また、当時諸侯の勢力が増大し中央政府を凌ぐ勢いがあった。 そこで 確かに誰かがやらねばならないことではあったが、 本人は理想目指して一直線だったのだろうが。 九卿らは、 丞相申 あるとき申 この壁は高祖劉邦の父、太上皇の廟の外壁であった。 これを知った申 しかし、この動きは 翌朝、申 |
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| 申 |
「内史・ これは不敬であります。廷尉に命じて錯を死刑に処していただきたい。」 |
| 景帝 | 「錯が穴を開けた塀は外壁であり、真の廟壁ではない。 それに門を作らせたのはワシの命令でもあるのだ。錯に罪はない。」 |
申 丞相府に帰った申 「奴を先にたたき斬ってから上奏すべきであった。 若造に先を越され、まんまとしてやられたわい。」 これ以来、申 結果論ではあるが、文帝が世を去ったとき、 申 司馬遷は言う。 「申 しかし学識はなく蕭、曹、陳平とはとても比べられない。」 後日談となるが、 申 その袁 劉武もまた実兄景帝に嫌悪され鬱々として死んだ。 「人を呪わば穴二つ」とはこのことであろう。 |
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