竇太后は 景帝は竇太后が 自宅から近道で雁門郡へ直行させた。さらに何かと 在任三年、辺境であった雁門郡は大いに治まり、悩まされていた匈奴の侵攻も無くなった。 なぜなら後二年に これを完膚なきまでに打ち破り「 匈奴では 皆恐れて命中させることができない有様であった。 匈奴は雁門郡付近から全面的に兵を引き、 竇太后はそれでも 結局、遠く宮中から法の上で死刑にする口実を見つけ、むりやり 景帝は 竇太后は、「では臨江王(劉栄。前話参照)だけが忠臣でなかったということですか。」と言った為に 景帝は何も言い返せなくなった。 |